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50にして知る我が適性。

樋口恵子氏はひたむきな行動者だ。

その人生は常に新しい挑戦に満ちている。かと言って、挑戦者にありがちな悲哀感は無い。一度、講演会を開けば全国からファンが押し寄せる。もともとは女性に関する評論家をしていた。執筆依頼も大量に来た。ある時など10冊近くのオファーが同時に来たときもあった。一時間ごとに色んなマスコミから電話がかかってきて、コメントを求められた。話を聞けば聞くほど、彼女は「超人気者」。それが彼女の50歳だった。

そんな彼女が50代を振り返る。50歳になった1983年、大量の仕事を何とかまわしていくために彼女は新宿に事務所を買い、樋口恵子事務所にするつもりだった。しかし、その頃同時にある構想が盛り上がった。それは、女性の視点で高齢社会をよくしていくような活動をしようと言うものだった。しかし、職業は評論家。樋口氏は当初、市民運動を中心に生きるつもりは無かった。しかし、周りの「やろう」という情熱がすさまじかったので、やることにした。逆に言うと、それだけ彼女は頼りにされていたのだろう。だが、樋口氏はあくまで謙虚だ。
「まわりに恵まれました。」

50歳、それは『高齢社会をよくする女性の会』を立ち上げた年だった。

立ち上げ当初マスコミは、あの樋口恵子が遂に高齢者関係をやりはじめたと囃し立てた。
「まだまだ新進気鋭の評論家として扱いでしたから」
と樋口恵子氏は語る。しかし、その活動はどんどん勢いを強めていった。その増えていく仲間に対し、樋口氏は感謝をしていた。そんな感謝の意を伝えたかったのかもしれない。樋口氏は樋口恵子事務所、を諦める。その事務所を『高齢社会をよくする女性の会』の事務所にするためだ。

53歳のとき、大学から声がかかった。東京家政大学の教授になった。10年はやる、と思ったが、結局70歳の引退時まで勤め上げ、名誉教授になった。
かといって、『高齢社会をよくする女性の会』のNPOをおろそかにした訳ではない。最近も、会は朝日福祉大賞を受賞した。

「今はすぐに自分の適性を決めてしまう人が多いですよね。」
樋口氏はそんな現状に警鐘を鳴らす。
「でも、今は人生100年の時代になってきた。そうすると、50歳は人生の折り返し地点です。」 その後に続く言葉は勇気を与えてくれるものだ。
「私の場合は50にして知る我が新しい適性。すぐに自分の適性を限定する必要は無いはずですよ。新しい挑戦は埋もれた適正を発掘してくれます。」

彼女は大いなる志を持ち続けている。今度の挑戦はアジアの高齢女性会議を日本主導で行うこと。人それぞれの適性は、前に進み続けることで見えてくるのだろう。年齢は関係なく。